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2019年09月05日

野外円形劇場







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昨晩は、うきは野外円形劇場にて行われた「渋さ知らズオーケストラ」のライブとお祭り横丁に出かけた。

「渋さ」の公演はファンキーでエモーショナルで、演劇的な要素を持ったライブを楽しんだ。

お祭り横丁も、うきは、日田、八女からと個性的な店が出店して場を盛り上げてた。

企画したイビサ、溜まりのスタッフさんご苦労様でした。ありがとう楽しみました。




「うきは野外円形劇場」について西日本新聞より
うきは市浮羽町山北の「道の駅うきは」敷地内にギリシャ式の野外円形劇場が復元された。92年前、地元の医師、安元知之(ともゆき)(1890〜1927)が主宰した農民劇団「嫩葉会(わかばかい)」の提案で造られたが、安元の死去に伴い一度も劇は演じられないまま土に埋もれていた幻の劇場だ。市の復元事業でよみがえった劇場を起点に足跡をたどった。
 「観客が舞台を見下ろす観劇方法は当時としては画期的だったはず。彼らは大正デモクラシーという時代の先端を歩んでいた」
大分県と境を接する山春村(現うきは市)に「嫩葉会」が誕生したのは1923(大正12)年4月。長崎医学専門学校(現長崎大医学部)時代に演劇に傾倒した安元は、地元教師らの要望で農村青年の教養を高めようと劇団を結成する。日本の近代演劇の先駆けとされる「築地小劇場」の開設の1年前だ。
 周辺と比べても貧しい農村だった山春村。学校にも満足に通えない若者が多く、まずは字や脚本の読み方から指導が必要な状態だったが、安元の情熱と若いエネルギーが無限の力を発揮した。
 初年度から菊池寛や武者小路実篤の作品を上演すると、その後はチェーホフやメーテルリンクなど海外作家の作品も取り入れた。
 久留米市や大分県日田市での公演も成功させると、評判を聞きつけて東京などからも芸術家の卵たちが集まってきたという。 嫩葉会の活動に地元の理解も広がり、安元たちは村民が一堂に集まり演劇や講演会を楽しめる野外劇場の設置を村に提案する。当時の河北俊義村長が土地を提供して1925年10月に建設が始まり、地元住民ら延べ331人による8日間の作業で完成した。
 フランスの劇作家、ロマン・ロランが提唱した「ギリシャ式野外劇場」を意識した造りは「民衆のための劇場」そのものだったが、安元が37年の生涯に幕を下ろしたことで嫩葉会も尻すぼみとなり、劇場に役者の声が響くことはなかった。
 安元は今、劇場から約1キロ離れた墓地にある納骨塔で眠る。「実質4年に過ぎない活動だが、嫩葉会が演じた戯曲は56演目に及ぶ。本当に濃密で奇跡のような時間だった」と安元の孫にあたる知臣さんはギリシャ神殿風の石塔を見詰め、誇らしげに語った。   (2017/12/22西日本新聞)


これもまたうきはの財産。






posted by カラコルム at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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